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こちらもとても参考になりました。
優駿達の蹄跡
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■■ピーターパンステークスとベルモントステークス(Belmont Stakes)の関係■■
ピーターパンS.3着以内からベルモントS.を勝った馬は1979年以降5頭いる。
1979:Coastal ピーターパンS.1着
1986:Danzig Connection ピーターパンS.1着
1992:A.P.Indy ピーターパンS.1着
1993:Colonial Affair ピーターパンS.2着
1999:Lemon Drop Kid ピーターパンS.3着
また、ピーターパンS.3着以内からベルモントS.で2着または3着に入った馬は1979年以降5頭確認できた。
1983:Slew O' Gold ピーターパンS.1着→ベルモントS.2着
1995:Citadeed ピーターパンS.1着→ベルモントS.3着
2000:Unshaded ピーターパンS.2着→ベルモントS.3着
2002:Sunday Break ピーターパンS.1着→ベルモントS.3着
2006:Sunriver ピーターパンS.1着→ベルモントS.3着
上をまとめるとピーターパンS.の着順とベルモントS.の着順の関係は以下の通り(1979年以降の28回分)。
ピーターパンS.1着馬【3,1,3】
ピーターパンS.2着馬【1,0,1】
ピーターパンS.3着馬【1,0,0】
というわけでやはりピーターパンS.1着馬の好成績が光る。ピーターパンS.1着馬では少なくとも1985年のProud Truth、88年のシーキングザゴールド、94年のトワイニング、2005年のOratory、07年のSightseeingの5頭がベルモントS.に出走していないから、ピーターパンS.1着の場合ベルモントS.では約30%以上の確率で3着以内に入っている。
ピーターパンS.2,3着からベルモントS.で巻き返す可能性は大きくない(ベルモントS.に出走した頭数が少ない可能性も十分あるが)。カジノドライヴにはなんとしても勝利して欲しいところ。申し訳ないですがピーターパンS.やベルモントS.で4着以下の場合はどう調べていいかわかりませんでした。
注:ベルモントS.は毎年10頭前後しか出走しないため、単純に10頭だとすると30%の確率で3着以内に入るのは期待できるわけで現時点ではあまり意味がない分析である。ピーターパンS.勝ち馬の生涯成績をもっと調べて充実させます。
■■勝ち馬の血統(1988-2007)■■
開催年:馬名、父, 母父
1988:Seeking the Gold、Mr.Prospector, Buckpasser
1989:Imbibe、Temperence Hill, No Robbery
1990:Profit Key、Desert Wine, New Policy
1991:Lost Mountain、Coxs Ridge, To the Quick
1992:A.P.Indy、Seattle Slew, Secretariat
1993:Virginia Rapids、Riverman, Sir Ivor
1994:Twining、Forty Niner, Never Bend
1995:Citadeed、Shadeed, Raise a Cup
1996:Jamies First Punch、Fit to Fight, Native Royalty
1997:Banker's Gold、Forty Niner, Nijinsky
1998: Grand Slam、Gone West, El Gran Senor
1999: Best of Luck、Broad Brush, Chief's Crown
2000: Postponed、Summer Squall, Gulch
2001: Hero's Tribute、Sea Hero, Damascus
2002: Sunday Break、Forty Niner, Storm cat
2003: Go Rockin' Robin、Distorted Humor, Personal Flag
2004: Purge、Pulpit, Copelan
2005: Oratory、Pulpit, Dehere
2006: Sunriver、Saint Ballado, Mari's Book
2007: Sightseeing、Pulpit, Pleasant Colony
というわけでPulpit産駒が圧倒的に強いのがピーターパンS.の近年の傾向。Pulpit産駒は6世代で3勝を挙げている。カジノドライヴの父マインシャフト/MineshaftとPulpitは父A.P.Indy、母父Mr.Prospectorという同じ血統構成であり(ピーターパンS.に限れば)極めて心強い。他にフォーティナイナーもDistorted Humor(その父フォーティナイナー)を含めると20年で4勝と強い。
マインシャフトはカジノドライヴが初年度産駒のため距離適性などは不明。代表産駒にFountain of Youth S.(GⅡ、ガルフストリームパーク競馬場、9ハロン)勝ち馬のCool Coal Manがいる。Cool Coal Manはケンタッキーダービー出走を予定しているようだ。前走のブルーグラスS.では9着と惨敗も、Fountain of Youth S.で負かした相手はそれほど弱くないと思うのでケンタッキーダービーでも健闘を期待する。他にGⅡ3着、GⅢ3着のHighest Class がいる。
■■ピーターパンステークスの歴史■■
おうまのアイコン wire-to-wireおよびWikipediaを参考に述べる。
1940年に第1回が行われる。第1回から現在までベルモントパーク競馬場のダート9ハロンという条件で施行されている。61年から74年まで中断。再開された1975年の第22回のみアケダクト競馬場のダート8ハロンで行われたのが唯一の例外である。中断の理由は不明。ベルモントパーク競馬場は1963年から68年まで老朽化を理由として閉鎖されていたがおそらく関係ないでしょう。
78年から82年のあいだはGⅢ、83年だけGⅡ競走として行われた。(アメリカでグレード制が導入されたのは1973年かららしい)。
84年から87年はGⅠとして開催されたが、88年にGⅡに格下げ。今に至る。
■■ピーターパンステークスの出走頭数■■
ピーターパンS.は04年10頭、05年8頭、06年9頭、07年6頭で行われた。おそらく今年も多くて10頭ぐらいしか出走しないのではないか。
■■負担重量について■■
ピーターパンS.でカジノドライヴに騎乗する騎手がK.デザーモであることが既に発表されている。武豊騎手でない理由はカジノドライヴが新馬戦を勝っただけであり軽い斤量で出走できるが、武豊騎手は「(減量が)難しい」からとのこと。
カジノドライヴが何Kgで出走できるのか知らないが「パーフェクト種牡馬辞典2005-2006」によると、1994年のピーターパンS.勝ち馬トワイニングの負担重量は122ポンド(55.3キロ)でこの年のピーターパンS.出走馬の最重量だった。トワイニングはピーターパンS.までGⅡのウィザーズS.を含む4連勝中だった。また、優駿達の蹄跡によると、93年の勝ち馬コロニアルアフェアーはピーターパンS.まで3勝で53kg、99年の勝ち馬レモンドロップキッドはGⅠ1勝、2着1回を含む3勝を挙げていながら54.5kgで出走できたようである。
さらにこちらの武豊騎手の2007年9月の騎乗記録一覧をご覧いただきたい。これによると9月23日阪神7Rニシノマナムスメ、および9月15日中山12Rマイネシャリマー騎乗時の斤量が52kgである。他の例もあるが武豊騎手騎乗時の過去1年間の最軽量は52kgである(武豊騎手は見習い騎手でないから51kgで乗ることはハンデ戦でしか考えられないが、それほど弱い馬に乗る機会もないだろう)。
つまり武豊騎手は52kgまでなら乗れるがそれ未満だと厳しいのかもしれない。海外遠征で調整が難しい可能性を考慮して余裕をみているとしても、カジノドライヴの斤量は52kg以下ではないか。(鞍やプロテクター、ブーツなどの装備品のうちどこまでが斤量に含まれるかが国によって違うという話を聞いたこともあるのだがよく憶えていない)。
2008年4月27日追記
JRAホームページ>データファイル>騎手・調教師データ>騎手名鑑>タ行>武豊を見てもらうと分かるが武豊騎手の体重は51kg。
■■サンデーブレイクの話■■
余談だが2002年のピーターパンS.勝ち馬サンデーブレイクは日本産。
父フォーティナイナー
母キャットクイル
母父ストームキャット
北海道新冠のノースヒルズマネジメントで生まれたサンデーブレイクだが競走生活はアメリカで送った。このピーターパンステークスが重賞初勝利だった。このあとベルモントS.3着に入った。サンデーブレイクはファレノプシスの半弟。従兄弟にナリタブライアン、ビワハヤヒデがいる。現在アメリカで種牡馬として供用されている。2008年3歳世代が初年度産駒である。
「サンデー」ブレイクなのにサンデーサイレンス産駒でないのが紛らわしい。
ちなみにサンデーブレイクについてはこのページが詳しい。
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